読書はしないといけないのか?『死ぬほど読書』丹羽宇一郎
今年の3/8朝日新聞に掲載されたある大学生の言葉。
大学では教育学部ということもあり、教育や社会一般に関する書籍を幅広く読むようになった。だが、読書が生きる上での糧になると感じたことはない。役に立つかもしれないが、読まなくても生きて行く上で問題はないのではないかというのが本音である。読書よりもアルバイトや大学の勉強の方が必要と感じられる。
読書は楽器やスポーツと同じように趣味の範囲であり、読んでも読まなくても構わないのではないか。なぜ問題視されるのか。もし、読書をしなくてはいけない確固たる理由があれば教えてください。
「本なんて役に立たないから、読む必要はない」そんな考えを持つ大学生や、高校生、若い世代の人口は増えているに違いありません。
筆者は「本を読まなくてもいいのでは?」と思わす背景に、「自分の頭で考える力」の衰えが影響していると指摘します。
親や周りから、よかれと思って与えられた環境で育った人が、その中でばかり生きていると、「自分の頭で考える」ということができなくなる。
そして自立した思考ができないから、与えられた狭い世界のなかだけで解決しようとしてしまう。読書なんかしなくてもいいと言う人たちにはこのような背景が感じられます。与えたれた世界のなかで、すぐに結果が出そうなことを求める、そんな生き方はとても窮屈であるし、精神的にもいい影響を与えないでしょう。ネット社会の隆盛が影響して、何でも自由にできる時代になりました。しかし、自分の軸を持っていないと、自由過ぎるがゆえに、実はとても不自由な時代でもあるのです。
それでは自分の軸を持つにはどうしたらいいのか?それは本当の「知」を手に入れることです。読書はあなたに「考える力」を与え、あたなを自由な世界へと導いてくれでしょう。
「どんな本を読めばいいのか」の章でとてもステキな文があったので紹介します。
どんなものでも数多く読めば、いろいろな好奇心の種が心に播かれます。すると、その種が発芽し、今まで馴染みのなかった類の本に食指が動く。それとともに読書の幅が広がり、読む本のレベルも上がっていきます。読解力がつき、読むスピードも速くなるでしょう。手にした本の質を見抜く眼力も鋭くなります。まさに螺旋を描くように読解力がついていく。それもまた読書の醍醐味です。
すると、それとともに、まさに、
接続詞が文のリズムをつくっているのがわかりますよね。
ブログや原稿を書くときには、自分なりに考えたことを読み手にわかりやすく伝える工夫が必要です。文章の構成、スタイル、流れと、リズム、強調すべき点など、頭の中にインプットされたものを文章化していく作業には、論理的な思考が求められます。その時に、注意して使いたいのが”接続詞”だと、この文章を読んで感じました。
学ぶことの多い一冊でした、オススメです。