『天才たちの日常』
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クリエイティブな人々が、クリエイティブな日々をおくっているとは限らない。
この本は”ルーティン”つまり日常的な習慣に注目している。”ルーティン”は「平凡さ」や「思考の欠如」というニュアンスがある。習慣に従うことは怠惰で動くことであるが、個人の毎日の習慣は、ひとつの選択、または一連の選択の結果でもある。
よりよい習慣を身につければ、「頭脳に余裕ができ、真に興味深い活動分野へ進むことができる。」とウィリアム・ジェイムズはいう。
作家、作曲家、画家、哲学者、ミュージシャンから映画監督まで、歴史に名を残してきた人々の思考の結晶でもある”ルーティン”を、過去の文献やインタビューから引用して記したのがこの本である。どんな時間に執筆作業をし、息抜きをし、自分の感情をコントロールしているのかがわかる。特に気になった人物の日常を引用したい。
伝記『サミュエル・ジョンソン伝』で知られるジェイムズ・ボズウェル。
「私の日常はこのうえなく規則正しく、正確に遂行する」と1763年の日記に書かれている。
”私はまるで時計仕掛けのように働く。朝8時にモリー(メイド)が火を起こし、食事室の掃除と準備をする。そのあとモリーは私を起こして、今何時かを告げる。私はしばらくベットの中でぐずぐず怠惰に過ごす。それは、余裕があって陽気な気分のときには、気持ちのよいものである。そのあと、さっさと簡単な服を着て、食事室へ行き、ベルを鳴らす。メイドが乳白色のナプキンをテーブルの上に置き、朝食の準備をする。私は面白くて肩の凝らない本を持ってきて、一時間かそれ以上かけて食事をしながら本を読み、舌と頭の両方を、ほどほどに楽しませる。朝食が終わると、明るく発刺とした気分となって、窓辺に行き、通りを歩く人々を見て楽しむ。みな、それぞれに目的を持って歩いている。毎日、決まりきったことの繰り返しそていると日記に書くことなどなくなってしまう。そのうえ、毎日、どの点に関しても、まったく同じようにはいかないのものだ。私の1日はたいてい、違う種類の本を読んだり、ヴァイオリンを弾いたり、書き物をしたり、友人と語らったりと変化に富んでいる。薬を飲むのも、少しでも楽しく時間を過ごすのに役立つ。私は自然に関してはちょっとした天賦の才があって、食べ物や労働や休息や運動が人間の体にもたらす変化や影響を観察することに大きな楽しみを見出してきた。
いま私はそこそこ健康なので、食欲も旺盛で、ささやかな量の食事をじゅうぶんに味わっていただく。紅茶はたっぷり飲む。11時から12時の間にはベットが温まり、穏やかに眠りにつく。こういった生活に、なんら不満はない。”
以上はボズウェルの調子のいい日常だ。調子の悪い日のために、ボズウェルは怠惰を避けること、人間としての尊厳を忘れないこと、運動を欠かさないこと、など様々な決意表明をしていたようだ。
ボズウェルの引用をしたのは、こうした毎日に憧れを持っているからかもしれない。
カンペキそうに見える人のカンペキではない日常でも、それに近づけるだけの努力は必要である。ボズウェルのような決意表明は必要なのかもしてないが、「人生は不安でいっぱいだ。それはまちがいない。だが、つねにそのことを忘れずにいれば、それでうろたえることなはい。」ともいっている。かっこいい、、、
短編で書かれてあるので、合間合間で読めるのもこの本の魅力だ。少しの時間でも手にとって読んでみてほしい。