読んでつくる知の体系

読んだ本、お勧めしたい本を紹介。ノンフィクションが多め。

「ドイツ・ルネサンスの挑戦 デューラーとクラーナハ」


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ドイツ・ルネサンスとはなにか。アルプスを越えて、ドイツにたどり着いたイタリアの美術運動がどのように展開されていくのか。本書では主要な芸術家とその作品を紹介しながら、流れを追っていく。

 

ルネサンスとは、「再生」「復活」を意味するフランス語であり、ギリシャ・ローマ時代の古典古代の文化を復興しようとする文化運動である。主に14世紀のイタリアで始まり、西欧各地に広がっていく。そのルネサンスをドイツに持ち込んだのが、本書の表紙を飾るデューラーだ。

 その指標となるのは、美的基準の中心に人の身体を据えたプロポーション理論、奥行きのある空間の中に立体的な事物を明確に位置づける透視法と自然観察、建築でいえば古代ローマの建築家ウィトルウィウスを範とする合理的な構造を備えた様式であった。

イタリア・ルネサンス美術の指標は、単なる図像やモティーフの問題ではなく、美術と芸術家の新たなる定義自体に関わってくる。この美術に対する新たなコンセプトは、イタリアと同様、アルプス以北でも美術家のステイタスに変化をもたらすことになる。

デューラーをはじめとするドイツ・ルネサンスの代表的な画家たちは、こぞって神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の美術政策に参加する。さらにクラーナハはヴィッテンベルクにおいてザクセン選帝侯の宮廷画家となったりと。

ドイツ・ルネサンスはイタリアの新しい美術運動を受容することで始まったのである。

しかしそれでは、ドイツ・ルネサンスはイタリアの遅れてきたヴァリエーションに過ぎなかったのか。いやそんなことはない。

イタリア美術が入ってきた時に、ドイツ語圏の美術家たちが慣れ親しんできた「造形的思考と視覚の習慣 」というイタリアの「静的で合理的な造形」と対極に位置する特色を手放すことはなかった。

自国と他国から持ち込んだ美術理論を調和し、葛藤する中で、それぞれ自分の立ち位置によって異なる造形を模索してくのである。

 

デューラーが「”記憶装置”としての美術」と語るところが興味深かった。

未完に終わった『絵画論』の中で「絵画はひとの形姿をその死後に保つ」と。それによれば、絵画の最たる有用性のひとつが、人間のイメージを未来に残してゆくという機能を持つ。

デューラーの言葉が示唆する通り、ルネサンス期、および宗教改革時代のドイツ美術を読み解くのに欠かせない鍵のひとつとなるのが「記憶」という概念である。デューラーを庇護した神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世は「生きているうちに何の記憶も生まない者は、死後にもいっさい記憶を持たないのであって、その人物は鐘の音とともに忘れられてしまう」と語る。鐘の音はすぐに掻き消えてしまう。だから自身の「記憶」を何らかの媒体に保存しておかなければならないのだと。絵画や彫刻、版画といった美術は、その記憶装置としてみなされていたのである。

実際にマクシミリアン1世のもとに形成された環境において、王侯貴族や知識人の「顔」、そして「記憶=名声」を後世に伝える肖像画や自画像を、後世に伝えるとして一大ジャンルになり、デューラークラーナハを筆頭にその表現が開拓されたという。