読んでつくる知の体系

読んだ本、お勧めしたい本を紹介。ノンフィクションが多め。

『新訳 君主論』


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マキャヴェリの『君主論』ほど、時代を越えて、各国の為政者やその周辺に生きる知識人に衝撃を与えた書物はあるまい。しかし実際に、この本のページをめくることなく、悪徳の書というレッテルから、先入観をもっての予断でしかない。いわゆる「マキャヴェリズム」、”目的のためには手段を選ばない権謀術数の書”と、曲解されがちである。

 

実際に本書の語録を少し引用すると、

「人間は邪悪なもので、あなたへの約束を忠実に守るものではない。」

「運命は女神だから、打ちのめし、突き飛ばす必要がある。」

「善い行いをすると広言する人間は、よからぬ多数の人々のなかにあって破滅せざるをえない。」

など少し、いやかなり過激な言葉が並ぶ。

 

悪徳な書を書いたマキャヴェリ、こんな偶像ができた発端は16世紀にさかのぼる。彼が亡くなってから5年がたったところで、ようやく本が出版される。するとすぐ、カトリックの聖職者が非難の声を上げる。そしてローマ教皇庁はこの書物を「禁書目録」に指定、その後削除板の計画もあがっていたが見送られた。このような逆風の末、やがて、フランス革命からイタリアの国家統一が進み、西洋の民衆の政治意識は急速に成長した。これまでのような為政者の立場からの支配の理論ではなく、被支配者の民衆側から、彼の書物を再評価しようとする動きが起きた。血も涙もない専制君主が、いかに民衆を虐待してきたか。マキャヴェリの本を盾にして、思想家たちはそれを訴えたかった。

そうした紆余曲折を経て、19世紀になって初めて、彼の思想が議論されて市民権を得はじめた。その時代を生きたヘーゲルは、

”「マキャヴェリは、彼に先立つ数百年前から同時代までの、歴史を念頭に置いて考えるべきで、そうしてこそ初めて『君主論』の正しい理解ができる。まことに偉大で、高邁な思想をめぐらせた政治家の心が生んだ、真にすぐれた観念が見えてくる」”こう述べている。ドイツ哲学者にとって、マキャヴェリは、ルネサンス時代精神そのもののようだ。単なる思いつきの思想家ではない。

 

今回は本書の内容というより、この「マキャヴェリ」と『君主論』の背景には何があるのか、が気になったのでそこを少しでも紹介したかった。

マキャヴェリ自身、血の通った人であり、戦争が絶えないなかで、たくさんの書物を読み、「君主たる者はどうあるべきか」を書き溜めた本を出す機会をうかがってはいたが、それも生前無念に終わる。しかし、その精神はこの本にちゃんと宿っている。政治の仕組みを考える前に、ひとりの人間として、政治のあり方を思い、あるいは為政者の資質や、権力と民衆の関係を考えるうえで、『君主論』はこれからも読み継がれる一冊になるのではないか。