読んでつくる知の体系

読んだ本、お勧めしたい本を紹介。ノンフィクションが多め。

公共交通から考える『ドイツのコンパクトシティはなぜ成功するのか』村上敦


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日本のほとんどの地域で、自動車を主体として交通を組織していればOKという時代はすでにない。2025年には団塊の世代が75歳を超える。年齢別で見るとマイカーの運転を諦めざるおえなくなる時代が到来するのだ。

本書では、今後も進展してゆく人口減少、少子高齢化の社会において、市民の利便性を損なわず、地域の仕事を確保し、地域経済を豊かにするオルタナティブな交通手段、都市計画を検討されている。

 

「キロメートル・イズ・マネー」

先ほど挙げた現実が迫るとき、家庭や地域を持続可能に維持していくためには、経済的な活動をある一定レベルで維持することが前提となる。そのために地域でどのような対策が有効であるか。筆者は、地域内において省エネルギー再生可能エネルギーに投資し、地域外へのエネルギー購入のための費用の流出を低減させることで、地域で循環するカネを増やし、地域経済を活性化させようとする「キロメートル・イズ・マネー」を推奨する。

マイカーの保険、メンテナンス費用、燃料代など、毎月5万円程度の支出を必要とする。この費用などが、地域に自動車部品のサプライヤーなどの製造業者や保険事業者などが存在しなければ、少なくとも半分程度は地域経済を素通りして流出してしまい、域内GDPを大きく増やすことができない。

しかし、域内の居住形態を集住化させて、徒歩で済むような移動距離の短い街をつくったり、自転車交通や公共交通(電車やバス)に投資して、自動車交通の依存度を低下させたり、地域外から購入するマイカーに依存せずに、カーシェアリングやウーバーX、タクシーや市民バスなどの交通サービスで移動の利便性を提供できるならば、マイカーに支払う金額の支払い先が変化し、域内で流通するカネを増やせるため、地域経済は活性化されるはずだ。

 

 交通手段を全て平等に扱う

 このようなまちづくりで成功を収めているドイツのフライブルクが紹介されている。

 23万人ほどの人口のこの都市は、徒歩、自転車、公共交通の推進し、1969年を契機として、ドイツの中でもフライブルク市の交通政策は独自の道を歩んでいる。

自動車が世界に広まりつつある時代に、フライブルク

1.公共交通の拡張

2.自転車交通の促進

3.車交通の静音化対策

4.車交通の居住エリアからの分離と幹線道路における結束化

5.駐車場の設置とその料金制度の統合

を掲げ、自動車、公共交通、徒歩、自転車の4つの公共交通は全て平等、並列で検討することが明記された。

車が多かった通りに、徒歩や自転車が多く通ることになる。商店を通過する人口密度が多ければ、その店の経営も成り立ちやすくなる。こう言った都市空間を節約できる政策が進み、1日2.2万台を超える中心市街地のカイザーヨゼフ通りを歩行者天国にすることができた。市のシンボルだった大聖堂前の広場は数百台を収容する駐車場だったが、歩行者天国された現在では、通りは歩行者で賑わい、大聖堂前は活気あふれる市場となっている。

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本書で「渋滞は交通問題ではない」という面白い話を見つけたので引用したい。ヘルマン・クノーフラッハー教授のコメントから

 

我々すべての人間は、AからBまでの距離をすばやく移動することによって(ゆっくりと移動することよりも、)時間を「節約」できることを知っている。交通インフラ整備に関するすべての投資の根拠は、常にこの効果、つまり「時間の制約」という便益を拠り所にしている。

世界中のすべての道路建設や行政、すべての鉄道計画や経済者、そしてもちろん世界銀行においてさえも、交通インフラへの投資判断は、この便益について、つまりどれだけ「時間を節約」できるかのかを予測して行われている。この時間の節約とそこを移動する交通量を掛け合わせたものが、合計された節約時間量となるのだ。そして、この節約時間をそれぞれの国の(時間あたりの労働対価から導き出される)金額に換算して、それがほどんどすべてに便益とされている。

それでは、節約された時間はどこに消えたのだろうか?もし社会が交通インフラへの投資によって時間の余裕をより多く確保したのであれば、その社会はより豊かになっていなければならない。つまり、より迅速な交通システムを所有するようになった社会は、理論上、より(時間的にも、質的にも)豊かなはずである。

それは異なる個人的な交通手段で移動する人々、つまり徒歩移動者、自転車移動者、オートバイ、そしてマイカー移動者たちが、交通のために消費する移動時間は

常に一定であり、その移動のための内訳(目的)すらもほぼ同じであることだ。人々は、その移動のスピードにかかわらず、同じ移動時間を生活システムの中に組み込んでいるということである。それゆえ、前述した節約されたはずの時間の合計とは、常にゼロであり、それは交通のスピードが変化しても変わることがない。

つまり、移動システムのスピードが上昇すると、それは移動時間を短縮することにはならず、単に移動距離を増加させることになるのだ。

 

 

「渋滞は交通問題ではない。」都市内において渋滞するような地点があるからこそ、それに変わる交通機関に乗り移る可能性が生まれる。交通速度を落とされた市民は、移動に対してより多くの時間を割くのではなく、移動距離を短くすることを生活スタイルに組み込むことで、移動時間をこれまでと同じにする。そのような「まちづくり」を見習うべきである。限られた面積しかない貴重な都市空間を「渋滞」の解決に割いてきた、道路の拡張だけじゃなく、貴重な都市空間を、徒歩に、自転車に再分配する考え方はとても面白かった。実現するかしないかわからないが、多くの都市で実践してみる価値はあると思う。