平均とは幻想『平均思考は捨てなさい』トッド・ローズ
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タイトル『平均思考は捨てなさい』はなんとも強い主張であるか。人は自分の意見とは反する物事を、否定しようとする時に強い感情がこもるが、本書もタイトル通り”平均”なるものをバッサバッサ斬り倒していく。
平均主義の台頭
平均身長、平均点、平均年収から平均寿命まで、判断の基準となる”平均”とは1840年代にケトレーという人物が作り出している。
宇宙には人間にの理想像と言える雛形が存在しており、個々の人間は欠点のあるコピーにすぎない。そしてこの雛形を「平均人」と名付けた。
人間に関する統計が混乱をきわめていた時代に、ケトレーが紹介した平均人という考えが、新しい秩序をもたらすこととなる。他人を既成概念に当てはめようとする人間生来の願望の正当性を立証したのだから、ケトレーの考えは社会政策を考案する土台として、各国に急速に広まっていく。
そしてケトレーの平均人を平均主義へと完成させたのが、フランシス・ゴルドン。
ゴルドンは、平均よりも50%速く走る人は、50%遅く走る人よりも明らかに”優れている”と主張した。両者は平等ではない。速く走る人のほうが個人としての”ランク”が高いと評価したのだ。
ゴルゴンのこの発想は「偏差の法則」に基づいている。良きにつけ悪しきにつけ、平均とどれだけ離れているかという点が、個人にとって最も重要だという発想である。そしてケトレーとゴルドンが作り出した「平均主義」は今の今まで採用され続けている。
平均主義のおかげで私たちは大事なものを犠牲にした。社会が私たちを評価する範囲はきわめて限定的で、そこで秀でることが学校や、キャリアや人生で成功をおさめるための必要条件だと見なされる。誰もが他のみなと同じになることを目指す。正確には、誰もが”他のみなと同じことで、皆よりも秀でることだけ”を目指す。高得点の就職希望者が望ましいのは、同じテストを受けた学生よりも資質が備わっているからだ。ところがその結果、個性の尊重 は失われてしまった。独自性は平均と比較する平均主義の中では特にプラスになる要素ではなくなってしまったのである。
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平均を王座から引きずり下ろす
平均主義の原則の中には、
・平均は理想の姿で個人はエラーだ。
・ひとつのことに秀でている人は、ほとんどのことに秀でている可能性が高い。
という説がある。
本書ではこのふたつの説とは逆の”個性は重要である”を大前提としている。個人はエラーではないし、最も重要な人間の資質(才能、知性、パーソナリティ、性質など)は、ひとつの点数で評価できないものだと考える。
学校教育の中で考えてみると分かりやすい。
もしすべての生徒が異なったペースで学び、しかもどの生徒も時期や与えられた教材によって学習ペースが異なるとしたら、すべての生徒を同じペースで学ばせるシステムには大きな欠陥があるとしか言えない。身に覚えはないだろうか。あたなは本当に数学や科学が不得意だったのだろうか?もしかしたらそれは、授業の進め方があなたの学習ペースに合ってなかっただけかもしれない。
平均という軸によって、その子の学習の進み具合を判断し、「勉強ができる子」「勉強ができない子」を判断してしまうのは誤った考え方だ。かくいう私も高校の物理の授業で、理解するペースが遅く、授業に置いてけぼりにされ物理が嫌いになった覚えがある(いろいろな本を読むようになって、今となってはすごく興味のある分野のひとつになったが)。私とは反対に、スイスイ問題を解いていく生徒もいた。つまり個人の才能には”バラツキ”がある。理解するのに時間がかかる子もいれば、すぐ理解する子もいるのに同じペースで授業を進めるのは正しいのだろうか。今の教育環境上、すぐに変更できることではないが、その子にあったペースで学ばせてあげるのがベストな教育なのだろう。
平均〇〇、平均〇〇言うが実際、平均的な人は誰もいない。
平均以下にしか評価されない子がいても、他の分野で何かに秀でていることが必ずあるし、環境が原因で能力を発揮できないパターンもある。自分の長所と短所の知識を頼りに、自分の道は自分で切り開いていけばいい。
自らの経験を踏まえて書かれたこの本には、強い説得力がある。オススメの一冊。