読んでつくる知の体系

読んだ本、お勧めしたい本を紹介。ノンフィクションが多め。

 『「悪知恵」の逆襲』


スポンサーリンク

「すべての道はローマに通ず」「火中の栗を拾う」など、多くの名言を残した17世紀の詩人、ラ・フォンテーヌによる大人のための寓話集を現代日本の世相と照らし合わせた本。

本書のコンセプトは、ラ・フォンテーヌに学んで、「大人の思考」をできるようにすることである。では「大人の思考」とは何か?それは、選択肢を前にして、何が自分にとって一番得かを自分の頭だけで徹底的に考え抜くことである。

目先の利益や、見かけの親切、甘い言葉、儲け話に騙されてはいけない。論理的にしっかり考えて、真の意味での自己利益を追求せよということなのである。(「まえがき」より)

 

イソップ物語を基にした『寓話』で有名なラ・フォンテーヌ、先ほど挙げた名言もこの話の中で使われている。

「すべての道はローマに通ず」という格言(目的までの手段や方法はいくらでもある。)は誰でも知っているが、それがラ・フォンテーヌの『寓話』の最後に置かれた「裁判官と病院長と隠者」の中にある言葉だと知る人は多くないだろう。

 

魂の救いにあこがれる三人の者がいた。「すべての道はローマに通ず」のだから、清らかに生きることを決め、それぞれ別の選択をし、一人は絶えることのない訴訟ごとや障害から人々を救ってやろうと裁判官になった。もう一人は、病人の苦しみを和らげることは慈悲深いことであると医者を選び、病院長になった。

しかし人のために励んでも、「裁判官の下した判決は贔屓である。」と不平を言われたり、「私のことは放っておくくせに、あの患者は知り合いなんだろう、優先ばかりする」と病院長も非難されるのである。

この評判を聞いてガッカリした裁判官は友である病院長に相談し、大いに愚痴をこぼした。そしてこれだけ人のために尽くしているというのに、非難ばかりに合うのは割に合わないと結論し、仕事をやめようとしていた。その時もう一人の友を思い出す。

彼は、二人とは別の道を歩み、人里知れず深い森の隠者になっていた。二人はこの友のもとを訪れた。そして、人のために自分を忘れるよりも、自分自信を知ることが大切であると教えられる。

 

 

この『寓話』からラ・フォンテーヌが引き出した教訓を筆者がまとめているので引用したい。

”人々は訴訟を起こし、病気になるのだから、裁判官や医者が必要ではないとはいわない。しかし、幸いなことに、そうした人材に欠くことはない。名誉や金を求めて、人々は次から次へとそうした職業に就きたがるだろうから。

しかし、こうした人たちは、社会一般の必要にかまけて、肝心の自分自身について考えることを忘れてしまっている。

同じことが国家の運営に携わる為政者、国王、大臣たちについてもいえる。

彼らはみな、あたまの忌まわしい事件に忙殺された結果、不幸にも打ち砕かれるか、あるいは逆に幸福に毒されてしまっている。

そのために、自分自身のことがわからなくなっているのだ。いわんや、他人については何も知らない。

何かの機会に自分自身のことを考えるかもしれないが、しかし、追従者のおかげで、その機会も奪われてしまうだろう。

来るべき時代のために、この教訓をこの書物の結びとしたい、わたしはこれを王に捧げる、賢人たちに勧める。自分自身を知れ、と。”